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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)385号 判決 1988年5月30日

原告 刈屋ケイ

右訴訟代理人弁護士 江川勝

被告 佐藤正

<ほか七名>

右被告ら八名訴訟代理人弁護士 堀内節郎

主文

一  原告の請求をすべて棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  (主たる請求)

被告らは原告に対し、別紙物件目録(二)記載の建物を収去して、同目録(一)記載の土地を明渡し、かつ昭和六二年一月一日から右明渡済みまで一か月金二万一二〇〇円の割合による金員を支払え。

(予備的請求)

被告らは原告に対し、原告から金三〇〇万円の支払いを受けるのと引換えに、別紙物件目録(二)記載の建物を収去して、同目録(一)記載の土地を明渡し、かつ昭和六二年一月一日から右明渡済みまで一か月金二万一二〇〇円の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

第二当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録(一)記載の土地(以下「本件土地」という。)は原告の亡父大原達之助(以下「達之助」という)の所有であったが、達之助が昭和二九年八月二八日死亡したことにより、原告がこれを相続し、現在原告の所有である。

2  原告の亡母大原スミ(以下「スミ」という。)は、昭和四二年一月一日訴外亡佐藤兼吉(以下「兼吉」という。)及び被告佐藤正(以下「被告正」という。なお他の被告らについても氏を略称する。)の両名に対し、本件土地を期間昭和四二年一月一日から二〇年と定めて賃貸した(以下「本件賃貸借契約」という。)。兼吉は、本件土地の上に別紙物件目録(二)記載の建物(以下「本件建物」という。)を建築し、所有していた(ただし未登記)。

3  被告千代は、兼吉の妻であり、被告正は、兼吉と被告千代との間の長男、被告裕は同次男、被告典生は同三男、被告博美は同四男、被告誠は同五男、被告玲子は同長女、被告壽子は同次女であるが、被告らは、兼吉が昭和四八年一〇月三日死亡したことにより、同人から本件建物の所有権及び本件土地の本件賃貸借契約上の賃借人としての権利義務を相続した。

4  原告の母スミは、昭和六〇年一二月二〇日死亡し、原告が本件賃貸借契約上の賃貸人としての権利義務を相続した。

5  昭和六一年一二月当時の本件賃貸借における賃料額は一か月金二万一二〇〇円であった。

6  本件賃貸借契約は、昭和六一年一二月三一日をもって期間が満了することとなったが、原告には、次のとおりその更新につき異議を述べる正当の事由がある。

(一) 原告と夫の刈屋三次との間には、長女竹村規子(昭和二七年七月三〇日生)、次女荒井安代(昭和三一年一一月二五日生)及び長男刈屋博行(昭和三五年九月一一日生)の三人の子供がある。長女規子は、訴外竹村克二と結婚して荒川区西日暮里に住んでいるが、次女安代は、訴外荒井髙志と結婚し、一児をもうけ、現在原告方の別棟に居住して、中央区役所に勤務し、夫の髙志は警察官として警視庁に勤務している。長男博行は、昭和六一年五月に歯科医師試験に合格し、現在原告と同居しながら足立区内の開業歯科医院に勤務している。

(二) 次女安代は、小児麻痺による右上肢弛緩性麻痺の身体障害者(四級)であり、夫婦共稼ぎであるから、子供は原告において日常の面倒を見ている状況である。次女夫婦が居住している原告方の別棟(約一九平方メートル)は、四畳の台所と六畳一間しかなく、非常に手狭である。このような状態では、次女夫婦は自宅に友人を招待することもできず、甚だ肩身の狭い重いをしている。

(三) 原告方は、木造モルタル造二階建で、一、二階合わせて約一〇〇平方メートルであるが、長男博行は、将来この家屋を改造して歯科医院を開業するか、あるいは他で開業するにしても所帯をもって、原告と生活を共にする考えである。

(四) したがって、次女夫婦は、原告宅に同居することはできず、何処かに住居を求めねばならないが、他に土地を購入する経済的余裕はなく、本件土地の返還を受けて、ここに住居を建てる以外に方法はない。このような状況から、原告は、身体障害者である次女のため、本件土地の返還を受け、ここに次女夫婦の住居を建設する必要がある。

7  そこで、原告は被告らに対し、本件賃貸借契約を更新しない旨の通知を発し、右通知は次のとおり被告らに到達した。

被告正に対し、昭和六一年一二月一〇日

被告千代に対し、 同年一二月二八日

被告博美に対し、 同年一二月二八日

被告玲子に対し、 同年一二月二九日

被告壽子に対し、 同年一二月二八日

被告裕に対し、 同年一二月二九日

被告典生に対し、 同年一二月二九日

被告誠に対し、 同年一二月二八日

しかし、期間満了後も被告らが土地の使用を継続するので、原告は昭和六二年一月一四日本件訴えを提起し、使用継続に対し異議を述べている。

8  右の次第で、本件賃貸借は期間満了により終了したが、仮に前項の事由のみでは、正当事由としては不十分であるとしても、原告はその補強として、金三〇〇万円を立退料として提供する用意があり、その旨被告らにも伝えてある。右の金額は、原告が現在無職でほとんど収入のない家庭の主婦にすぎないこと及び期間満了直前に賃料額の約一二年分にも相当する額であるから、正当事由を補完する金銭としては十分である。

よって、原告は被告らに対し、賃貸借の終了に基づき、本件建物を収去して本件土地を明渡し、かつ昭和六二年一月一日から明渡済みまで月額金二万一二〇〇円の割合による使用料相当の損害金の支払いを求め、予備的に、金三〇〇万円の支払いを受けるのと引換えに、同様の給付を求める。

二  請求原因に対する認否及び主張

(認否)

1 請求原因1の事実中、原告が本件土地を相続したとの事実は不知、その余は認める。兼吉は、達之助の死亡によって同人の妻スミが本件土地の所有権を相続したものとの前提の下に、請求原因2のとおり、スミとの間で本件賃貸借契約を締結し、スミに賃料を支払ってきた。原告が本件土地を相続したとすれば、昭和五四年ころの遺産分割によるものと考えられる。

2 同2の事実は認める。

3 同3の事実中、被告ら全員が本件建物及び本件賃貸借契約の賃借人としての地位を相続したとの点は否認し、その余は認める。被告ら全員は、昭和六一年一二月一三日、本件建物につき、被告正が単独で相続する旨の遺産分割協議をしたから、本件建物の所有権及びその敷地である本件土地の賃借権は被告正が単独で承継した。

4 同4の事実中、原告が本件賃貸借契約の賃貸人としての地位を相続したとの点は不知、その余は認める。

5 同5の事実は認める。

6 同6の事実中、(四)は争い、その余は不知。

7 同7の事実は認める。

8 同8のうち、原告が立退料として金三〇〇万円を提供する用意があると言っていることは認めるが、その余は争う。

(主張)

本件土地の賃貸借の経緯は次のとおりであって、被告正にはこれを継続する必要性がある。

(一) もともと、本件土地の賃貸借は、兼吉が昭和二二年ころ達之助との間で、兼吉において建築資材の割当てを受けて、本件土地の上に建物を建築するとの合意をし、同年七月一三日達之助の承諾書を得て兼吉が本件土地の上に建物(旧建物)を建築したことに始まる。

(二) 昭和二二年一二月一日、兼吉は達之助に対し、権利金四〇〇〇円を支払い、同人との間で本件土地につき、期間を昭和二三年一月一日から五年とする賃貸借契約を締結した。ただし、賃貸物件の表示は、「足立区《番地省略》雑種地五三坪及び同《番地省略》雑種地一坪」とされていた。

(三) 右の五年の期間が満了したため、兼吉は、達之助との間で、期間を昭和二八年一月一日から二〇年とする賃貸借契約を締結し、同年三月三〇日には達之助に対し、金五万五〇〇〇円もの権利金を支払った。

(四) 旧建物は、戦後の資材不足のときに建築したものであったから、兼吉は、昭和四〇年には旧建物を取り壊し、新建物(すなわち本件建物)を建築することとなり、スミに対し、建築の承諾料及び賃貸借の更新料の趣旨で、昭和四一年三月から昭和四二年四月にかけて八回に分けて合計五〇万円を支払い、昭和四二年一月一日付でスミとの間で本件賃貸借契約を締結した。なお、このときは、兼吉がすでに高齢だったことを考慮して、賃借人として被告正が加わった。

(五) 以上の賃貸借の期間中、賃料不払いのような事実もなく、平穏裡に賃貸借契約が続いたのである。

(六) 現在、本件建物には、被告正とその妻悦子、長男修一、次男広明のほか、被告正の母被告千代及び弟被告博美の六名が居住しているのであって、本件賃貸借契約を継続させることが是非必要である。

三  被告らの主張に対する原告の答弁

1  被告らの主張(一)の事実は認める。

2  同(二)のうち、権利金の支払いがあったとの点及び当時の賃貸物件の表示は不知、その余は認める。

3  同(三)のうち、権利金の支払いがあったとの点は不知、その余は認める。

4  同(四)のうち、建築の承諾料及び賃貸借の更新料の趣旨で金五〇万円の支払いがなされたとの点は不知、その余は認める。

5  同(五)は不知。

6  同(六)は不知。

第三証拠《省略》

理由

一  本件土地がもと原告の父達之助の所有であったところ、同人が昭和二九年八月二八日死亡したこと(請求原因1)は、当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》によれば、達之助の死亡後、その妻スミが本件土地の管理を行って来たところ、昭和五四年ころ、達之助の相続人全員で協議した結果、本件土地については原告が単独で相続する旨の協議が成立し(ただし相続の登記は昭和五五年七月七日付)、現に原告がこれを所有していることが認められる。

二  原告の母スミが昭和四二年一月一日兼吉及び被告正の両名に対し、本件土地を期間二〇年と定めて賃貸したこと並びに兼吉が本件土地の上に本件建物を建築して所有していたこと(請求原因2)は、当事者間に争いがない。

三  被告千代は、兼吉の妻であり、被告正は、兼吉と被告千代との間の長男、被告裕は同次男、被告典生は同三男、被告博美は同四男、被告誠は同五男、被告玲子は同長女、被告壽子は同次女であること及び兼吉が昭和四八年一〇月三日死亡したこと(請求原因3)は、当事者間に争いがない。

そして、《証拠省略》によると、昭和六一年一二月一三日右に記載した兼吉の相続人全員の協議により、本件建物は被告正が単独で相続する旨の遺産分割協議が成立し、したがって、本件建物の敷地の賃借権も被告正が承継したことが認められ、この認定に反する証拠はない。もっとも、《証拠省略》によれば本件建物は未登記であり、したがって、右遺産分割による登記もなされていないことが明らかである。してみると、被告正は、法定相続分を超える権利承継を地主である原告に対抗することはできず、反面原告は、相続人全員が賃借権を承継したものとして、その全員を賃借人として取扱うことができるものというべきである。

四  原告の母スミが昭和六〇年一二月二〇日死亡したこと(請求原因4)は、当事者間に争いがない。前記のとおり、原告は、昭和五四年ころ遺産分割により本件土地の所有権を相続し、昭和五五年七月七日付でその登記をしたから、これに附随して、本件土地にかかる賃貸借契約上の権利義務も承継したものと考えられ、現に、《証拠省略》によれば、昭和五四年七月ころ、被告正はスミから、今後の賃料は原告の方に支払うように、と言われ、原告に支払ってきたことが認められる。したがって、遅くともスミの死亡後は、原告が本件土地の賃貸人たる地位にあったことは明らかである。

五  昭和六一年一二月当時の本件賃貸借契約の賃料額が一か月金二万一二〇〇円であったこと(請求原因5)は、当事者間に争いがない。

六  原告が被告らに対し、更新拒絶の通知をし、期間満了後も被告らが本件土地の使用を継続するので、本訴を提起をしたこと(請求原因7)は、当事者間に争いがない。

七  そこで正当事由の存否について検討するに、左記3の事実は当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると、左記1、2及び4、5の事実が認められる。

1  原告の夫刈屋三次は、足立区《番地省略》に宅地一七九・二〇平方メートルとこの土地の上に二階建建物を所有しており、この建物に原告及び長男刈屋博行(昭和三五年九月一一日生)とともに暮らしている。長男博行は、昭和六一年に歯科医師試験に合格し、足立区内の歯科医院に勤務しているが、独身であり、右建物のある場所で歯科医院を開業する予定が現在あるわけではない。原告には、右長男の他、長女竹村規子と次女荒井安代とがあるが、長女は結婚して家を出ており、次女安代(昭和三一年一一月二五日生)は、訴外荒井高志と結婚し、一児(優花、昭和六〇年九月一六日生)をもうけ、右原告方居宅の隣の別棟に居住している。右原告方の建物と次女安代が住んでいる居宅との位置関係及び間取りの概略は、別紙図面記載のとおりであって(同図面の赤線部分が原告方居宅、青線部分が別棟の安代方)、原告方は、夫婦と独身の長男の住居しては、かなりゆとりがあるが、次女夫婦が居住している別棟は、三畳の台所と六畳一間しかなく、手狭である。

2  次女安代は、三歳のころ小児麻痺にかかったことによる後遺症のため、右上肢弛緩性麻痺の身体障害者(四級)であり、右上肢が前及び横に約四〇度位しか上らず、握力も低下している。もっとも、同女は、右のような身体的に不利な条件があるとはいえ、夫婦協力して日常生活ができないというわけではなく、現在、中央区役所に勤務し、税務事務に従事しており、夫の髙志は警察官として警視庁に勤務している。このように夫婦共稼ぎであるため、同人らの子供の保育園への送り迎えや食事の支度等は原告において面倒を見ている状況である。原告としては、次女安代に右のような身体的に不利な条件があることから、本件土地の明渡しを受けたときには、これを次女夫婦に使用させたい考えであるが、新築の計画及び資金の手当が具体化しているわけではない。

3  もともと、本件土地の賃貸借は、兼吉が昭和二二年ころ達之助との間で、兼吉において建築資材の割当てを受け、本件土地の上に建物を建築するとの合意をし、同年七月一三日達之助の承諾書を得て兼吉が本件土地の上に建物(旧建物)を建築したことに始まり、同年一二月一日、兼吉と達之助との間で、本件土地につき、期間を昭和二三年一月一日から五年とする賃貸借契約が締結された。この五年の期間が満了したため、兼吉は、達之助との間で、期間を昭和二八年一月一日から二〇年とする賃貸借契約を締結した。ところが、旧建物は、戦後の資材不足のときに建築したものであったから、兼吉は、昭和四〇年には旧建物を取り壊し、新建物(すなわち本件建物)を建築することとなり、昭和四二年一月一日付で兼吉及び被告正の両名がスミから本件土地を賃借する旨の本件賃貸借契約が締結されたのである。

以上の賃貸借の期間中、賃料不払いのような事実もなく、平穏裡に賃貸借契約が続いた。

4  前記のとおり、兼吉が昭和二三年一月一日付で達之助から本件土地を賃借するについて、兼吉は達之助に対し、権利金四〇〇〇円を支払い、また昭和二八年一月一日付で期間二〇年とする賃貸借契約を締結するについて、兼吉は達之助に対し、金五万五〇〇〇円もの権利金を支払った。そしてさらに、本件建物を新築するに当たり、昭和四二年一月一日付であらためて本件賃貸借契約を締結したが、兼吉はスミに対し、建築の承諾料及び賃貸借の更新料の趣旨で昭和四一年三月から昭和四二年四月にかけて八回に分けて合計五〇万円を支払った。

5  前記のとおり、本件建物については、被告正が単独で相続する旨の協議が成立しているところ、現在、本件建物には、被告正とその妻悦子、両名の長男修一(昭和四六年三月二七日生)、次男広明(昭和四七年一〇月六日生)のほか、被告正の母被告千代(明治四四年三月一二日生)及び独身の弟被告博美(昭和二二年一月一日生)の六名が生活の本拠として居住している。被告正には、本件建物以外には所有する不動産もない。

以上の事実を総合して考えるに、原告自身の住居はかなりゆとりがあって、本件土地を必要としているのは原告自身ではなく、もっぱら身体的に不利な条件にある次女のためであることが明らかであるが、次女の身体的に不利な条件というのも、夫婦協力して日常生活ができないという程のものではなく、この点を過大視することはできない。したがって、原告の必要性というのは、結局、将来次女夫婦に利用させたいというに尽きるところ、次女夫婦には具体的な新築の計画及び資金の手当がなされているわけではない。これに対し、本件賃貸借契約は、賃借人の側に賃料不払い等賃貸人との信頼関係を破壊するような事実もなく、平穏に継続されて来たのであり、建物の建築時又は賃貸借契約の更新時には、当時の物価水準に照らしてもかなりの額の権利金ないし承諾料が支払われて来たのであり、被告正及びその家族が現に本件建物を必要とする程度も大きなものがある。このような、賃貸人側の必要性と賃借人側の必要性とを対比するならば、賃貸人側の必要性が賃借人側のそれに優越しているとはいまだ認められない。

原告が正当事由の補強として、金三〇〇万円を立退料として提供する用意があり、その旨被告らにも伝えてあるとの事実は、当事者間に争いがないが、この事実を考慮しても、なお原告に正当事由があることを肯定するには足りない。

八  以上のとおりであるから、原告の本訴請求はすべて理由がないことに帰するので、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 原健三郎)

<以下省略>

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